★【六川亨の日本サッカー見聞録】永井氏引退試合に超豪華メンバー集結。小学生時代の永井少年の悩みとは…

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▽8月14日の月曜日、味の素フィールド西が丘で、元東京Vの永井秀樹さん(46歳)の引退試合が盛大に行われた。永井さんは「ヴェルディレジェンズ」と「Jレジェンズ」の一員として両チームでプレー。

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▽8月14日の月曜日、味の素フィールド西が丘で、元東京Vの永井秀樹さん(46歳)の引退試合が盛大に行われた。永井さんは「ヴェルディレジェンズ」と「Jレジェンズ」の一員として両チームでプレー。試合は30分ハーフだったが、往年の名選手に加え現役のカズ(三浦知良)もまたぎフェイントを披露するなど、スタンドのファンを多いに沸かせた。

▽まず何が凄いかというと、メンバーが超豪華だ。ヴェルディレジェンズはカズの他に脳梗塞から復帰したラモス瑠偉氏が、カズと息のあったパス交換を何度も演じた。かつて等々力での浦和戦では、リフティングで相手をかわしてゴールを決めたこともあった。実況を務めたDJジャンボとゲストの金子達仁氏も当時のことを鮮明に覚えていて、チーム名こそ出さなかったがその話題に触れると、スタンドのファンも敏感に反応していた。

▽彼ら以外にも北澤豪氏、前園真聖氏、武田修宏氏、三浦淳寛氏ら錚々たるメンバーが集結。一方のJレジェンズも中田浩二氏、山口素弘氏、澤登正朗氏、鈴木啓太氏、故・松田直樹氏の長男など、超豪華メンバーだった。

▽試合は山口氏がフランスW杯予選の韓国戦を思わせるループのパスからPKを獲得したJレジェンズが永井氏のゴールで先制する。しかしヴェルディレジェンズも藤吉信次氏のボレーのこぼれを武田氏がダイビングヘッドで押し込んで同点に。さらにJレジェンズは澤登氏がFKを直接決めて逆転したが、後半はヴェルディレジェンズに入った永井氏が連続ゴールを決めて逆転に成功し、3-2の勝利を収めた。

▽試合後の永井氏は、「正直、もう何も言うことはありません。これほどのメンバーに集まっていただいたこと、本当に幸せだと思います。最高に幸せなサッカー人生でした」と2600人ほどのファンに最後の挨拶をした。

▽今回のJレジェンズは、国士舘大学時代のライバルや、V川崎、清水、横浜F、横浜FMなど永井氏が在籍したチームの選手が集結した。スタンドには横浜Fの永井のユニフォームを着たファンがいたのには驚かされた。永井氏の足跡を改めて振り返ると、V川崎ではJリーグ連覇に貢献し、清水ではナビスコ杯優勝、横浜Fでは消滅前の天皇杯に優勝、そして横浜FMでも2000年に第1ステージ優勝と、数々のタイトルを所属チームにもたらした。

▽そんな永井氏にも、大分県の明野西JFCでサッカーに夢中になった小学生時代に悩みがあった。身長がなかなか伸びないのだ。そこで創刊されたばかりのサッカーダイジェストという月刊誌で、当時技術委員だった藤田一郎氏が、読者の質問に答えるコーナーがあったため、自身の悩みを投稿した。

▽それに対して藤田氏は「サッカーは身長ではなく、技術を磨くことの方が大事ですよ」と永井少年の質問に誌面で答えた。

▽それが励みになったのかどうかわからないが、永井少年は大分市立明野中学で全国大会優勝を果たし、国見高校に進学しても全国制覇を達成して、今日まで長きにわたり現役としてプレーし続けた。今後は指導者として第2のサッカー人生は歩んでいるが、きっと選手の悩みを理解できる指導者になることだろう。
【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。

2017年8月17日(木)20:39

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