新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。
世の中の流れ
1999年、ルノー・日産アライアンスが誕生。カルロス・ゴーン氏が日産自動車のCOOに就任した。
■大予言に揺れた日本
平成11年(1999年)、日本ではあの不吉な予言がブームになっていました。ノストラダムスの大予言です。なんでも、予言によると「1999年7月に世界が滅亡する」と言うのです。
2019年を生きている現在の人からすれば、馬鹿げた噂に聞こえますが、日本では1990年代に入ってから、バブル崩壊後の不況、阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件などのテロ事件など、これまで経験したことのない事件、事故が起こっていました。このことを受けて、多くの人が何とも言えない「不安感」を持っていたのです。
その影響からか、本当に人類が滅亡するのではないかという空気が少なからずありました。ご存知の通り、7月が過ぎても結局人類が滅亡するような事件は何も起きず、いつしか予言も忘れ去られましたが、人々が抱えていた未来への不安を象徴する出来事です。
その他、日産自動車が経営難を受けて、フランスの自動車会社・ルノーと業務提携を発表。現在何かと話題になっているカルロス・ゴーン氏が日産自動車の最高執行責任者に就任します。この結果、日産自動車は短期間での経営の立て直しに成功しますが、同時に大規模なリストラを行うなど、大胆なコストカットは賛否両論を生みました。
また、1月に2020年をもって活動を休止する事を発表し、話題になったアイドルグループの「嵐」がデビューしたのもこの平成11年です。他にも、だんご3兄弟が大ヒットする等、数多くのヒット商品、作品が出ました。
サッカー界
エキセントリックな言動で話題を呼んだフィリップ・トルシエ監督。組織的サッカーを確立させた。
■新監督の下で動き出した日本代表
日韓W杯に向けて、世界と戦えるチーム作りを目指していた日本代表は前年から、新監督としてフランス人監督のフィリップ・トルシエを迎えていました。彼は徹底した組織サッカーを選手に植え付ける為、選手たちに厳しい規律と監督への服従を求めます。
個人の生活にまで介入するという今までになかった指導法に戸惑いや反発を覚える選手たちも少なくありませんでした。
しかし、ユースチームの指揮も任されていたトルシエ監督の元、日本代表はU-20の世界大会で準優勝に輝くという偉業を達成。世界と戦う準備を着実に進めていました。
社会問題にもなったフリューゲルス消滅。Jリーグに大きな傷痕を残した。
■フリューゲルス“消滅”の衝撃と傷跡
この年、Jリーグに大きく影を落とす事件が起きます。それは横浜フリューゲルスの“消滅”です。クラブの赤字が続く中、親会社であった全日空も財政難にあえいでいた時期であり、フリューゲルスのクラブとしての存続が難しくなってしまっていたのでした。
前年の1998年に横浜フリューゲルスが横浜マリノスと合併するという形で消滅するという合意がなされます。それに対しフリューゲルスサポーターが「俺たちはあきらめない」という横断幕を掲げての抗議や署名活動等を続け、社会問題になるほど反響を呼びました。
それに答えるように、チームも1999年の元旦に行われた天皇杯では、清水エスパルスを破り、横浜フリューゲルスが“奇跡”の優勝を果たしました。しかし、クラブ存続の道は最後まで見つからず、これが横浜フリューゲルスとしての最後の姿になりました。
奇しくもこの年、Jリーグでは、J2が始まり、2部制へ以降した年でした。チーム数がさらに増えたものの、クラブの経営や企業への依存等、多くの事を考えさせられる事件となりました。