★【平成サッカー30年の軌跡】平成14年/2002年 快進撃の末に見えた課題

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2002年、日朝首脳会議が実現。拉致被害者問題の進展に繋がった。

■日本の行政と外交政策に変革
平成14年(2002年)、日本国内では外交と行政の面で大きな出来事が起こります。外交面では、前年から首相になっていた小泉純一郎氏が、日本の首相として初めて北朝鮮を訪問。金正日総書記との日朝首脳会談が実現し、拉致被害者5人の帰国に繋がりました。これを機に拉致問題解決への機運が高まりますが、その後は交渉が上手く進まず、現在でも完全解決には至っておりません。

行政面では、学校教育でいわゆる「ゆとり教育」がスタートしました。それまでの受験戦争に向けた詰め込み教育からの脱却を図り、週5日制や「総合的な学習」の導入等、子どもたちが自ら学び考える力を育てることを目標に学校教育が見直されました。しかし、その結果子どもの学力低下が問題となり、2008年以降見直しが進められました。

その他には、多摩川にアザラシの「タマちゃん」が現れ、タマちゃんフィーバーが起こったのもこの年です。アザラシを一目見ようと大勢の人が多摩川に駆け付けました。

また、「さかな さかな さかな~♪」の歌詞でお馴染みの「おさかな天国」が大ヒットしました。世界に目を向けると、EU圏内でのユーロ紙幣と硬貨の流通が始まったのもこの年です。




サッカー界

2002年、日韓W杯が開幕。日本の初戦の相手、ベルギー相手にゴールを決める鈴木隆行選手。

■初の勝ち点、初勝利…日本中が熱狂した日韓W杯
2002年、日韓W杯がついに開幕しました。W杯がアジアで行われる事、そして2カ国による共同開催というのは史上初めての事でした。開催国となった日本は、ベルギー、ロシア、チュニジアと同組になります。

日本中の注目と期待が集まる中、トルシエJAPANの挑戦が始まりました。初戦、日本は「赤い悪魔」ベルギーと対戦します。鈴木隆行と稲本潤一の2ゴールで日本は一時リードするも、試合は2-2の引き分けに。しかし、これは日本がW杯初の勝ち点を獲得した歴史的瞬間でした。続くロシア戦では、「白い壁」と呼ばれるロシアディフェンスの一瞬の隙をついた稲本潤一がゴールを決めて1-0で勝利。ついにW杯初勝利を記録します。3戦目のチュニジアにも2-0で快勝し、グループステージを首位通過したのでした。

初の勝ち点、初の勝利、初のベスト16進出。次々と成果をあげていくトルシエJAPANの姿に日本中の人々が熱狂しました。

■ベスト16の壁。変革を迫られた日本サッカー

初のベスト16の試合、トルコ戦に挑む日本代表のイレブン。

日本はベスト16でトルコと対戦。前半に味方のミスでコーナーキックを与えると、そのコーナーからトルコが先制。後半に三都主アレサンドロのFKがクロスバーを叩くなど、ゴールに迫りましたが、1点が遠く1-0でベスト16での敗退が決まり、日本代表の挑戦は終わりました。大会出場2度目でベスト16というのは堂々たる結果でしたが、どこか不完全燃焼な形で幕を閉じた日韓W杯でした。

トルシエ監督の元、徹底的な組織的サッカーを追い求めた4年間はW杯ベスト16という確かな結果をもたらしました。しかし、日本がさらにその先へ行くためには、それだけではなく、個人の技術や判断力を高めなければならないという現実を突き付けられた大会ともなっています。

日本サッカー協会は、大会終了直後、新たな代表監督の招へいに動きます。選手たちの「個の力」を引き出す為に、日本代表監督に選ばれたのは、ブラジルのスーパースターであり、鹿島アントラーズでも活躍したジーコでした。この人事を機に、日本サッカーは、監督の言う通りにやるサッカーから、選手が自分で考えるサッカーへ移行していったのでした。

2019年4月14日(日)19:00

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