★【平成サッカー30年の軌跡】 平成18年/2006年 黄金世代を襲ったドイツの悪夢

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2006年、王監督率いる侍ジャパンが第一回WBCで世界一に輝いた。

■スポーツとスキャンダルに沸いた1年
平成18年(2006年)は冬季オリンピック、FIFAW杯、そして野球の世界一を決める大会、ワールドベースボールクラシック(WBC)の第一回大会が開催された年であり、スポーツ界が大いに盛り上がりました。

まず2月にトリノオリンピックが開幕。日本人選手のメダル獲得が中々かなわない中で、最後の最後に女子フィギュアスケートで荒川静香選手が見事金メダルを獲得。優勝を決めた演技で見せた「イナバウアー」は日本中を魅了し、大ブームになりました。

3月には 第一回ワールドベースポールクラシック(WBC)が開催。王監督率いる侍JAPANが初代王者となるべく世界に挑みました。大会途中では日韓戦での屈辱的連敗やアメリカ戦でのタッチアップをめぐっての誤審騒動等、様々な壁にぶつかりながらもチーム一丸となって前進を続けます。準決勝では2度敗れていた韓国を撃破して、決勝に進出。決勝でもキューバを破り、初代WBC王者となりました。

同じ野球界では、甲子園で早稲田実業の斎藤佑樹と駒大苫小牧の田中将大が白熱する投手戦を演じます。延長戦再試合の上、早稲田実業が夏の甲子園初優勝を果たし、「ハンカチ王子」フィーバーに日本中が沸きました。

また、この年に「ホリエモン」の愛称で知られ、プロ野球チームやフジテレビの買収騒動等で一時は「時代の寵児」と呼ばれた堀江貴文元ライブドア社長が粉飾決算の疑いで逮捕。また「村上ファンド」代表の村上世彰氏がインサイダー取引の疑いで逮捕される等、金融業界でのスキャンダルが目立った1年でもありました。

現在に繋がる話題で言うと、日本の現職の総理大臣である、安倍晋三氏の第一次内閣が小泉首相の後に誕生したのもこの年であり、戦後生まれ初の首相として話題になりました。
また、現代を象徴するものの一つである「SNS」こと、ソーシャルネットワークサービスのTwitterとFacebookがサービスを開始したのもこの年です。





サッカー界

黄金世代への期待はたった8分間で重圧へと変貌した。

■全ての歯車が狂った“悪夢の8分間”
平成18年の夏、中田英寿や中村俊輔等、黄金世代が成熟期を迎えたジーコJAPANの3度目のW杯挑戦がドイツで始まりました。前回大会にベスト16に進出した日本は、国民の大きな期待を背負い、初戦の相手は、オーストラリアに挑みます。

前半に中村俊輔のクロスがそのままゴールに入り、あっさりと先制します。ラッキーな形で試合の主導権を握った日本でしたが、40度を超える猛暑の中、オーストラリアの攻撃に耐えきれず、後半39分に同点に追いつかれます。集中が切れてしまったのか、そこからさらに2失点を許し、まさかの逆転負け。初戦での勝利を目前で逃してしまったことはチームの雰囲気を大きく変えてしまう結果となります。

初戦で負けてしまった日本は、絶対に勝ちが欲しい第2戦でクロアチアと対戦します。前半に川口が見せたPKストップは日本に勢いを与えますが、柳沢が決定機を逸してしまうなど、結局点を取ることが出来ず、0-0の引き分けに終わってしまいました。


黄金世代と言われたタレント集団はブラジルの前に散った。ここから日本は“自分たちのサッカー”を探し始める。

■再び世界との差を知ったドイツ、そして…
1戦目、2戦目と勝ちない日本にとって、グループステージ突破の条件は最低でも2点差以上での勝利が必要となります。しかし第3戦の相手は全大会王者のブラジルでした。

前半、玉田のゴールで日本が先制。日本国内を含め世界を驚かせました。しかし、これが王国ブラジルにスイッチを入れてしまったのか、前半ロスタイムに追いつかれると、後半にはさらに3失点。結局1-4で”本気”のブラジルに惨敗し、日本の敗退が決まってしまします。ブラジル戦後、ピッチの真ん中に倒れ込む中田英寿の姿は多くのサッカーファンの記憶に残っているのではないでしょうか。

黄金世代として国民から大きな期待を受けて望んだW杯でしたが、終わってみれば1度も勝てず、再び世界との力の差を見せつけられる結果となってしまいました。4年前の結果から上手くステップアップ出来なかった日本サッカー。次なる一手として代表監督に白羽の矢が立ったのは、ジェフ市原を率いてチームを躍進させた、イビチャ・オシム氏でした。そしてオシムによる“考えて走るサッカー”を目指すべく、新たなチーム作りが始まったのでした。


2019年4月18日(木)22:30

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