★【平成サッカー30年の軌跡】 平成28年/2016年 リオ五輪と世界を驚かせた鹿島

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2016年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで夏季オリンピックが開幕。日本のメダルラッシュに国民が沸いた。

■史上初ずくめの1年
平成28年(2016年)は、日本で史上初の出来事が多く起きた1年となりました。この年に起きた出来事の中で、特に「平成」というテーマにおいて重要な出来事をあげるなら、今上天皇が退位のご意向を表明なさった事でしょう。ご高齢になられた天皇陛下が体力の低下により、公務に全身全霊をかけることが難しくなったとのご判断の上での退位のご意向の発表でした。このご意向を受けて、「生前退位」について、そして現代においての天皇のあり方について、様々な議論を呼びました。

また、7月に東京オリンピック予算や、築地市場移転問題などを争点に東京都知事選挙が行われました。この選挙で自民党を離党して立候補した小池百合子氏が当選。女性初の東京都知事が誕生しました。

8月にはリオ・デ・ジャネイロ・オリンピックがブラジルで開幕。日本選手団は史上最多となったロンドン・オリンピックの38個を上回る41個のメダルを獲得し、最多記録を2大会連続で更新しました。体操男子団体の金メダルや、「最強女子」吉田沙保里が見せた涙など、この大会でも数々の名場面が生まれました。

アメリカのバラク・オバマ大統領が、現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問したのもこの年の出来事です。オバマ氏は大統領に就任した2009年に「核なき世界」を目指すことを提唱しており、そのオバマ氏が被爆地広島を訪れた事は非常に大きな意味を持ちました。

その他、選挙法が改正され、選挙権年齢が「20歳以上」から「18歳以上」への引き下げが行われました。また、熊本地震が起こったのもこの年です。震度6以上の大きな地震が断続的に起き続け、被害を受けた地域のライフラインが断たれる等、大きな被害を出しました。



サッカー界

森保JAPANの主力選手が数多く出場したリオ五輪。

■新時代のエースたちが激戦を演じたリオ五輪
2016年のリオ・デ・ジャネイロ・オリンピックにもU-23日本代表は出場していました。ロンドン・オリンピックでの4位入賞を追い越すべく、手倉森誠監督の下に未来の日本を背負う精鋭たちが集結しました。

初戦のナイジェリア戦は、壮絶な打ち合いになりました。日本はナイジェリア相手に4得点の大暴れとなりますが、逆に守備が完全崩壊。5失点を許し、4ゴールをあげながら敗れるというまさかの初戦となりました。

第2戦の相手はコロンビア。2014年のブラジル・ワールドカップではA代表が1-4と大敗している相手であるだけに、雪辱に期待がかかりましたが、後半に立て続けに2失点を許してしまいます。しかし、そこから日本も2得点で追いつくとそのままドロー。決勝トーナメンに向けて何とか望みを繋ぎました。

日本はスウェーデン相手に1-0と今大会初の勝利を上げますが、2位を争っていたコロンビアも勝利した為、日本代表のリオデジャネイロオリンピックでの予選敗退が決まりました。

結果こそふるわなかったものの、この大会で頭角を現した、南野拓実(ザルツブルク)、中島翔哉(アル・ドゥハイル)を始め、室屋成(FC東京)、遠藤航(シント=トロイデン)らは現在の森保JAPANでも主力として活躍している選手たちです。

■鹿島が欧州王者を追い詰める
CWC2016で鹿島アントラーズがレアル・マドリー相手に一時リードを奪う大健闘。世界にその名をとどろかせた。

また、日本のクラブチームも世界に衝撃を与えます。2016年、クラブ・ワールドカップが日本で行われ、その年のJリーグ王者・鹿島アントラーズが開催国枠として出場しました。それぞれの大陸のクラブ王者たちとの対戦に苦戦が予想されましたが、準々決勝進出をかけた1回戦では、オセアニア王者のオークランド・シティを2-1で撃破。準々決勝でもアフリカ王者のマメロディ・サンダウンズ(南アフリカ)を2-0で完封すると、準決勝では南米王者のアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)を3-0で圧倒し、決勝まで駒を進めます。

日本クラブの決勝進出はクラブW杯史上初めてであり、欧州王者のレアル・マドリー(スペイン)との対戦に大きな注目が集まりました。

決勝戦では、開始わずか9分でレアル・マドリーがカリム・ベンゼマのゴールで先制。このまま力の差を見せつけられる展開になるかと思われましたが、日本が誇る常勝軍団の鹿島が徐々にペースを掴み始めます。すると、44分、柴崎岳(現ヘタフェ)がゴールを奪い同点に追いつくと、後半早々の52分にも再び柴崎がゴール。マドリーを相手に2得点を奪った柴崎の活躍で、一気に逆転に成功します。

世界のマドリー相手にリードを奪ったJクラブの姿に日本、そして世界が驚愕しました。しかし、そこはやはり百戦錬磨のマドリー。エースのクリスティアーノ・ロナウド(現ユべントス)がPKを含むハットトリックを記録し、最終的には4-2とひっくり返されてしまいました。結果は準優勝に終わった鹿島でしたが、Jリーグのクラブとしては最高の成績を収めました。マドリーを追い詰めた鹿島の名前、そして2ゴールを奪った柴崎の名がスペインを中心とした欧州にに広がるきっかけとなり、柴崎はそのまま海を渡ってスペインへと活躍の場を移すことになるのでした。



2019年4月28日(日)19:00

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