★【引退会見全文】J史上最高のストライカー、大久保嘉人「本当に最高のサッカー人生」「今は整理もついてスッキリした気持ち」
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セレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)が22日、引退記者会見を実施した。
19日にクラブから今季終了をもって引退することが発表された大久保。
セレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)が22日、引退記者会見を実施した。
19日にクラブから今季終了をもって引退することが発表された大久保。JリーグではプロデビューしたC大阪をはじめ、ヴィッセル神戸や川崎フロンターレ、近年ではジュビロ磐田や東京ヴェルディなど6チームを渡り歩いた。また、2005年から2006年にかけてはスペインのマジョルカ、2009年1月から半年間はヴォルフスブルクでプレーするなど、20代半ばに海外挑戦も果たした。
J1通算191ゴール(11/22時点)の最多ゴール記録を誇り、3年連続でのJ1得点王と、成し遂げることが困難な記録を作り続けた大久保。引退発表には各方面から惜しむ声が届く中、記者会見に臨んだ大久保は冒頭から涙を流し、時折言葉を詰まらせながら、引退決断の経緯や、これまでのキャリア、引退後のこと、そして家族のことなどを語った。
「大久保嘉人は…今シーズンをもって…引退します」
「20年間という長い間でしたけど、本当に最高のサッカー人生でした」
「まだ、伝えたいことが本当にたくさんあるんですけど、皆様に感謝したいと思います。ありがとうございました」
ー(司会)今日はどんな引退会見にしたいと思っていますか
泣かない予定でしたが、速攻で泣いてしまいました。すいません。本当に素晴らしい会見にできたらと思います
ー(代表質問)まだまだプレーできると見ているが、今回引退を決断した理由は
自分はプロになった時に引退はこういう引退がしたいなというプランがありまして、そうなるかは自分次第でわからないと思っていましたが、自分が動けるうちに、まだまだできるだろうと言われるうちに辞めたいと思っていて、それが今なのかなと思い決断しました
ーJ1通算200ゴールまであともう少しだが、もったいないなと思うことは
それは結構言われるんですけど、取りたいという気持ちはやっぱりありました(涙)
だけど、まだまだ自分の力が足りなかったのかなと思っています
ー今回の引退を決断された時に誰かに相談したか
特には相談しなかったです。自分がこういう性格で、決めたことは曲げないので、気持ちは固めて、すぐ妻に伝えました
ー引退を伝えたときの奥様のご様子は
本当にそれで良いの?という感じでした。まだ整理がついていない感じでした
ー子供たちにはどう伝えたか
決めて、発表する前日に横浜に帰りまして、長男も部活、次男もサッカーで帰ってくるのが夜10時過ぎで、帰りを待っていて椅子に座らせました
伝えようとした時に察したと思うんですが、自分がサッカーを辞めることではなく、5人目?女の子?と言われまして、そうじゃなくて、サッカーを辞めると伝えました
ー伝えた時の子供たちのの反応はいかがでしたか
長男はもう分かっていると思うので、隠しながら、「お疲れさん」と言っていました。一緒に暮らしていないので、また一緒に暮らせる嬉しさと、サッカー選手じゃなくなる寂しさがあったように僕は見えました
三男は一緒に住んでいるので、大阪の友達ができて、もう別れるのという寂しさと、また家族で住める嬉しさを、今もどう表現して良いかわからない感じです
ーお母様にはどう報告をされたか
辞めると決めていたので、今シーズンで辞めるねと電話しました
ーその時の反応はいかがでしたか
ダメとか、戸惑った感じは自分には見せていなかったです。ただ、妻と電話で話した時は寂しさはあったと思います
ー最後はセレッソの選手として終わることとなりました。その気持ちは
それについては、自分が最初に入ったチームがセレッソ大阪で、セレッソ大阪がなければ、自分がサッカー選手としてここまでやれていなかったと思いますし、このセレッソ大阪で全てを学び、移籍して色々なことを伝えられるようにもなりました
まさか1回移籍して、色々なチームを渡り歩いて、またセレッソ大阪に戻してもらえたことは感謝しかないです
自分にはセレッソ大阪しかないんだなと。今、そういう思いでいっぱいです
ー大久保嘉人にとってサッカーとはどんなものか
小さい時からサッカーをしてきて、自分がプロになり、子供たちに夢を与えられる仕事だと思っていました
ー改めてファンへメッセージを
自分はこのサッカー選手になって、自分という、こういう汚いプレーヤーでしたけど、その中でも全然悔いはないですし、サッカーの時と普段の時の性格は全く違いますけど、サッカーで自分を貫き通せたことはあり、ここまでよくやってこれたなと自分でも誇りに思います
そういうのは真似しない方が良いことはたくさんありましたが、それもサッカーだと思っていたので、悔いなくサッカー人生を終えられると。今は幸せです
ー今回引退を決断されたタイミング、最大の理由は
引退を決断した時は、11月16日です。本当に最近なんですが、ふと車の中だったり、家に帰ったり、1人の時間が多い時に、ここ最近は引退しようかなと思っていた時もありましたし、そう思っていた時にメンタル的なこともそうですが、20年間苦しい思いの方が非常に強くて、それを見せないようにしないといけないなとずっと思っていたので、ずっと細い糸がギリギリ繋がっている状態でやっていました
その中で1人になった時に、ここで辞めた方が良いのかなとふと思い、家でその場で決めて、すぐ妻に伝えました
ー選手やOB、ファン・サポーターはまだやれる、寂しいという声もある。尊重するという前提がありながら、そういった声に関してはどういう思いが
一緒に戦った仲間だったり、ファン・サポーター、対戦したチームの関係者、選手だったり、皆さんには、自分としては感謝しかないです
一緒に戦っている選手たちには、これからサッカーを楽しんで欲しいなという気持ちと、もっともっと上を目指して、やって欲しいなというのを、これから伝えていきたいかなと思っています
ープロ1年目の自身から考えて、J1最多得点、3年連続得点王を経て、今の姿はどう写っているか
1年目からメチャクチャで、長くサッカーはできないだろうと思われていたでしょうし、自分でも長くサッカーはできないと思っていました
まさか39歳までやれるとは思っていなかったですし、得点王を3年連続取ることも想像していなかったので、思っていた以上のサッカー人生を送れました。幸せのまま終われると思います
ー今後のことについてはどう考えているのか
シーズンが終わっていないので、まだですが、シーズンが終わってこれから話し合いながら、色々なことにチャレンジしたいなと思っています
今すぐ言える目標はゴルフで90切りをやりたいなと。早めに切れたら良いなと今は思っています
ーこの20年間、どう自分と向き合ってきたのか
自分は逆境に立ち向かっていかないと力が出ないタイプの選手だったので、このまま行ったら這い上がれないと思った時は、記者の皆様に自分にプレッシャーをかけるようなことを言って、そのように色々書いてもらったり、そうなると自分にプレッシャーがかかりますし、そこで立ち向かっていくということを20年間やってきました
ーヒザのケガを抱えていた時期もあり、ケガとの戦いもあったと思う
サッカー選手である以上はケガはつきものだと思いましたし、痛みに強く、ケガしていても弱いところは見せたくなかったです
大きなケガの時以外は、あまり休むことなく、やり続けてきました
ー一番印象に残っている場面、シーンは
いっぱいあります。入団した時のジュビロ磐田戦の初ゴールは自分のキャリアがスタートしたなと思いますし、その場面がすぐ浮かんできます
ーやんちゃなプレー。色々と、そう言われてきたことについてはどう思っているか
そういった選手がなかなかいなかったので、そういう選手でありたいと思っていましたし、やんちゃだとか、退場も多かったですし、言ってくださったことは自分らしいと思ってもいました
それはサッカーの時だけですけど、突き通せたことは自分らしいかなと思いましたし、そこは誇りに思って辞めていけるかなと思います
ーまだまだやれると言われることへの気持ちの整理は
200得点は誰よりも思いが強かったですし、そのチャンスがあるのは自分だけだったので、取れるまでやれとしか言われませんでした
自分の中でも良かったら取れるだろうし、悪かったら何年かかるかわからないので、今やめた方がスッキリするのかなと思っていました
皆さんに伝えたときは本当にスッキリして、言われることもないという気持ちで、今は整理もついてスッキリした気持ちです
ー今後の日本サッカーについてどういう期待をしているか
これからは日本サッカー界も色々な外国籍選手だったり、スーパースターも来たりすると思います。もっともっと盛り上げて、みんなが目標とするリーグになって欲しいと思っています
ー息子(三男)と一緒に暮らして子供の成長、自身の成長はどうだったか
三男と2人暮らしで、今まで洗濯も家事も何もしてこなかった自分がやらないと、三男が可哀想だなとか、ご飯食べさせないと痩せていくなと考えて、それを考えるだけでも成長したなと自分は思います
自分が思ったことで行動ができるようになったかなと思います。子供のためにやらないといけない。やらないといけないけど、面倒なのでゴロゴロしていたものが動くようになりました。そこは成長しました
三男は妻とかと住んでいた時は何も自分のことはできませんでしたが、今はしないとついていけない、やっていけないので、自分で洗濯物を干したりするようになりました
2人で苦しい環境に置けば成長するんだなとつくづく思いました
ー今後は指導者の可能性もあるのか
今までの経験を伝えなきゃいけないと思います。指導者ということも、どう指導するか、ライセンスゼロなので分からないですが、もっともっとサッカーのことも知りたいし、勉強したいということもあります
他にも違うことにチャレンジしていきたいというのもありますので、少しゆっくりして考えていきたいと思います
ーセレッソに復帰するときに森島寛晃社長も大きかったと思う。背番号20を背負うときは西澤明訓への思いもあったと思うが引退はどう伝えたのか
自分の中で決めて、お伝えしました。辞めますと
セレッソに戻ってこれたことに感謝していますし、恩返しという気持ちできたと伝えました
ー2人からの言葉は
まだできるだろうと言われました
ー引退後の一番の楽しみは
今はゴルフに毎日行きたいぐらい、チャレンジしたいと思います
まずは90切りを狙っていきたいなと。それを達成できたら、次の目標を立てて色々やっていきたいです
今のベストスコアは「91」です。あとちょっとです
ーJリーガーを目指す全国の子供たちへメッセージを
今はサッカーを本当に好きになってもらって、これから大きくなっていくにつれて、大変なこと、上手くいかないことも出てくると思います
そんな時にも投げやりにならずに、少しずつでも良いので、努力して、コツコツやることで後で大きくなり、自信につながる。諦めずに苦しいことにも立ち向かって、頑張って欲しいなと思います
そうすると夢が叶うと僕は思っています
ーライバル視していたDFの方、影響を受けた攻撃の選手は
ディフェンスの選手は特にライバルという風に全く見たことがないです。凄い選手は一杯いましたが、僕はどう崩して点を取ることしか考えていなかったので、ライバルはいません
前の選手は森島さんに憧れてセレッソを選びましたし、森島さんを抜かないと試合に出られないと思っていたので、森島さんから全てを学んで、いつか抜ければ良いなと思って頑張ってきました
ー天国のお父さんににどんなことを伝えたか
(涙が止まらない大久保)やっぱり凄く厳しい父でしたけど、父が居なければ、サッカー選手になれていないかなと思います
報告したら、よくやったなと言われると思います
ーストライカーとしての矜持。191ゴール以外にも海外でもゴールを決めた。自分でどういうストライカーだったと思うか。嗅覚という言葉で表現してきたが、今だから言えるゴールの極意があれば
野生的と言われてきましたけど、動くところとかは野生的だったと思います
ゴールを取るために、確率を求めていましたし、その中でも、自分は元々ストライカーではなく中盤の選手だったので、パスの出し手の気持ちも分かることもあり、逆算をしながら、常にプレーをしていました
FWのところから後ろに下がって行ったりしましたし、それはボールを触りたいからではなく、DFを見ながらプレーをすることで、DFがついてくれば、空いたスペースを他の選手が使ったりすれば得点のチャンスが増えると思ったり、パスを出す、センタリングを出す選手の位置、ここにボールを置いたらこっちにしか来ないと思った時は、どう相手のことを動かすべきか、考えることが多かったです
野生的と言われましたが、凄く色々考えていましたと今は伝えたいです
ーそんな中での会心のゴールは
プロになる前からスペインリーグでやりたいと思った時に、プロに入って4年後にマジョルカからオファーをもらい、行って、開幕戦。デビュー戦でのゴールは、いつも緊張しない自分が試合前に緊張しました
その中でのアシストとゴールは今でも本当に忘れられないゴールになっています
ーサッカーという仕事で、よくあそこまでキレられるなと。ピッチの近くで見ていても、口に出せないようなことを言ったりしていた。なかなか感情を仕事の場では出せないものだが、それをやっていた。どこからその感情を出していたのか
まずは一番負けず嫌いなところがあります。サッカーを始めた頃は負けても全く何も思わず、声を出さないことばかりで、声を出さないから試合に使わないと言われたこともあります
どこかで自分に自信がついた時に、自分は発言することは自信がなければできませんでした。サッカーをやって自信がついてきたと思います
自分のために言っているのではなく、その人のため、チームのために言うことで後々響くと思っていました
伝えないといけないという。黙っていても伝えないとわからないこともあったので、言ってしまいました
言わなくて良いこともいっぱいありましたけど、それは自分の中で消化できないので、一応伝えておこうと言うことで、伝えていました
それが自分の強みにもなりました
伝え方はキレているので悪かったかもしれないですが、伝えることで自分のプレーができるんですが、もっと落ち着けば良くなると言われましたが、大人しくなればプレーも大人しくなったり、力を出せなくなるとわかっていたので、感情を出して力、エネルギーを出していました
それは出してやって行って良かったなと今になっても悔いはないですし、良かったです
2021年11月22日(月)23:01