★【平成サッカー30年の軌跡】 平成9年/1997年「世界情勢と日本サッカーの転換期」

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


1997年、世界的人気アニメ「ポケットモンスター」の放送が開始された。

■世界情勢は転換期へ
平成9年(1997年)は、世界全体が新しい時代の新しい問題点を認識するきっかけとなる出来事が起こりました。
その1つが11月に日本で結ばれた、京都議定書です。各国の温室効果ガス削減目標などが明記されたこの文書には55カ国以上が批准し、世界中で起こる気候変動に関して、世界全体が責任ある行動を取るべきという意見が主流になっていることを示す出来事となりました。

また、科学技術の分野では、クローン羊のドリーが前年に誕生していたことが発表されます。これは科学の発展と倫理観についての議論を再燃させ、新しい時代の問題の一つとして話題になりました。

日本では平成9年に、消費税が3%から5%に増税されました。しかしこの時期日本はバブル崩壊後の不良債権処理中だった為、増税後に金融機関が次々と破綻し多くの批判を呼びました。

またこの年に、日本が世界に誇る大人気アニメ「ポケットモンスター」の放送がテレビ東京で開始されました。このアニメは全世界120か国以上で放映され、2019年にはハリウッド実写映画の公開が決まっており、話題になっています。



サッカー界

日本中が注目した“ジョホールバルの歓喜”

■歓喜、悲願、世界へ
1997年は日本サッカーにとって非常に重要な1年となりました。なぜならこの年、翌年の1998年のフランスW杯に向けたW杯アジア最終予選が行なわれていたからです。W杯本戦出場をあと一歩のところで逃した“ドーハの悲劇”は、選手、そしてファンの間では新鮮な記憶として残っており、悲願のW杯初出場に向けて日本中が注目していました。

満を持して最終予選に挑んだ日本代表でしたが、初戦こそ勝利したものの、その後4分1敗と勝ち点を積み上げられず、一時は自力での予選通過が消滅する等、苦しい戦いを強いられていました。そして、日本は加茂周監督を解任し、岡田武史監督を招へい。さらには、日本と出場権争いをしていたUAEが勝ち点を取りこぼす等、運も味方し、勝てば本戦出場権を獲得する事ができる、アジア第3代表決定戦まで駒を進めます。


■“ジョホールバルの歓喜”
イランとの決戦となったこの試合は、前半に中山雅史のゴールで日本が先制するものの、後半の早い時間帯に2点を返され、あっさり逆転されています。4年前の“悲劇”が脳裏をよぎりますが、後半から途中出場した城彰二のヘディングシュートで同点に追いつき、くらいつきます。

その後90分で決着が付かず、延長戦へ。両チームチャンスを作るも、決めきれない展開が続いた延長後半の13分、その瞬間が訪れます。

延長戦から途中出場していた岡野雅行が、中田英寿のシュートをイランGKがはじいたところを押し込んで決勝ゴール。このゴールで勝利した日本代表は、初のW杯出場を決め、日本中が悲願の達成に沸きました。この試合は、“ジョホールバルの歓喜”として語り継がれています。

悲願のW杯初出場を掴んだ日本代表。ここから、翌年のフランスW杯に向けて世界と戦う準備が始まるのでした。

日本サッカーにとって大事な1年。熱い声援を送るサッカーファン。

2019年4月9日(火)19:30

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