★【平成サッカー30年の軌跡】平成12年/2000年 日本が再びアジアの頂点に!

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。

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新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2000年にブッシュ政権が誕生。後の世界情勢に大きな影響を与えた。

■ブッシュ政権とシドニーオリンピック開催
平成12年(2000年)、アメリカでは新たなリーダーが誕生します。クリントン大統領の任期満了を受け、アメリカでは大統領選挙が行われた結果、現職の副大統領だった民主党候補、アル・ゴア氏を僅差で破り、共和党のジョージ・W・ブッシュが大統領に選ばれたのです。この翌年から大統領となるブッシュ氏が行った多くの政策はこの後のアメリカ、ひいては世界全体に大きな影響を与えました。

一方スポーツ界では、オーストラリアのシドニーで、夏季オリンピックが行われました。日本人では女子マラソンの高橋尚子さんがオリンピック新記録で金メダルを獲得します。高橋尚子さんは「Qちゃん」の愛称で親しまれ、その明るい笑顔は「Qちゃんスマイル」と呼ばれ、ブームを生みました。

その他にも、日本で二千円札が発行。沖縄サミットの開催と西暦2000年をきっかけに発行されたもので、導入当初は新札の普及に力を入れる為、金融機関などでも積極的に使われました。しかし、結局あまり浸透せず、使用はされていますが、現在でも少しレアなお札という認識がされています。

また、サザンオールスターズが「TSUNAMI」をリリースしたのもこの年。発売初週で65.4万枚のCDを売り上げると、2週目で100万枚を突破する等、大ヒットを記録しました。




サッカー界

トルシエ監督の下で確実に力を付けていった日本代表。

■新たな戦力の台頭
日韓W杯に向けて、世界と戦えるチーム作りを目指していた日本代表は前年から、新監督としてフランス人監督のフィリップ・トルシエを迎えていました。彼は徹底した組織サッカーを選手に植え付ける為、選手たちに厳しい規律と監督への服従を求めます。

フィリップ・トルシエ体制3年目に入った平成12年はサッカー日本代表にとって輝かしい1年となります。シドニーオリンピックでは、U-23世代が快進撃を続け、1968年のメキシコ大会以来のベスト8に進出します。この大会では、司令塔に抜擢された中村俊輔(現ジュビロ磐田)や高原直泰(現沖縄SV)ら日本代表の次世代を担うタレントの台頭が目立ちました。

また、同年に行われたアジアカップでも、アジア王座奪還を目指して日本代表が躍動します。グループステージを突破すると、準々決勝では中村俊輔のクロスから名波浩(現ジュビロ磐田監督)が豪快なボレーを含む2ゴールをあげる活躍を見せます。このゴールは日本サッカーに残る名ゴールとして、現在でも多くのサッカーファンの記憶に残るものになっています。

準決勝で中国を破り決勝まで駒を進めると、アジア王座をかけて強豪サウジアラビアとの一戦に臨みます。そんな決勝でも中村俊輔がFKであげたクロスに望月重良(現SC相模原代表)が合わせ、日本が先制。その後、GK川口能活のファインセーブも光り、1点のリードを守り切った日本が、2大会ぶり2度目のアジア制覇を達成します。

日本代表は個性的な監督と衝突を繰り返しながらも、トルシエ監督の元で“組織としての力”を確実に培っていったのでした。

2019年4月12日(金)19:00

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